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東京高等裁判所 平成7年(ネ)4347号 判決

控訴人

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

沼田安弘

宮之原陽一

杉山博亮

加藤裕之

被控訴人

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

神作昌嗣

外三名

被控訴人補助参加人

甲野春子

甲野太郎

右法定代理人親権者母

甲野春子

事実

第一  申立

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金一五四万六九三七円及びこれに対する平成六年六月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文第一項と同旨

第二  当事者の主張

次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  被控訴人

1  控訴人は、被控訴人が原審において本件各貯金につき控訴人から名義人の補助参加人甲野太郎(以下「太郎」という。)に対する贈与の事実の主張をしていないのに、原判決が贈与を認定したのは弁論主義に反すると主張するが、被控訴人は、原審において、「本来資力のない未成年者名義の貯金であるからとはいえ、贈与により未成年者の金員となって貯金されることもあり、必ずしも貯金名義人が出捐者ではないといえない」と主張している(平成七年二月八日付準備書面(二)の二の2)から、原判決には何ら弁論主義違反の違法はない。

2  平成六年八月一九日の払渡しについて

(一) 小石川五郵便局の郵便局員は、平成六年八月一九日、補助参加人甲野春子(以下「春子」という。)から、本件各貯金のうち、原判決別紙定額貯金目録(三)の定額貯金の残額全部(二〇万円)の払戻請求を受け、これに応じて払渡しをしたが、右払渡手続は法令通達に従ってされた。すなわち、右郵便局員は、提出された貯金証書に押捺された印影と払戻金受領の受領印の印影が同一であり、払戻請求をしている春子が、普段から同郵便局を利用しており、当該貯金の名義人である太郎の母親であることを知っていたことから、右払戻しに応じたものである。したがって、右払渡しは、郵便貯金取扱手続七条及びその注意点(乙第七号証)を遵守してされた正当なものである。

郵便貯金取扱手続七条の1の(1)のアからカに定められている事由は、貯金の払戻請求等の態様において正当な権利者であることを疑うべき事情がある場合を規定しており、右取扱手続第七条の1の(1)のキは「その他アからカまでに準ずる疑わしいと認めるに足りる事由があるとき」と規定している。右にいうこれに準ずる事由も貯金の正当の権利者であることを疑うべき事情があるような場合に限定され、当該払戻請求を担当した郵便局員が知り得ないような事情はこれに含まれない。したがって、控訴人が平成六年五月二七日に板橋向原郵便局において本件各貯金について払戻請求をしたことをもって、同日以降の春子の払戻請求について正当の権利者であることを疑うべき特段の事情が生じたということではできない。

(二) 控訴人は、平成六年五月二七日、板橋向原郵便局において、住所変更届及び郵便貯金払戻金受領証を提出し、本件各貯金の一部である原判決別紙定額貯金目録(一)の定額貯金三〇万円及び同目録(二)の定額貯金三〇万円の払戻請求をした。同郵便局員は、端末機で処理しようとしたところ、「再発行番号相違」というエラー表示が出たため、控訴人に「再発行されていますね」と言った。これに対し、控訴人は、調査してほしい旨の申出をしたので、同郵便局員は、長野貯金事務センターに調査を依頼した。この際、控訴人は、同郵便局員に対し、再発行された貯金通帳に基づく支払の停止手続をとるよう求めなかった。したがって、右郵便局員が支払停止の手続をとらなかったことに過失はない。

また、仮に控訴人が本件各貯金の出捐者であり、真の貯金者とされ、かつ、控訴人以外の者が貯金証書を所持していたとしても、平成五年一月一一日局貯法第八五〇号貯金部長通達「相続に係る郵便貯金等の支払停止の取扱いについて「例規」」(乙第一〇号証、以下「支払停止通達」という。)上、名義人でない控訴人が「他人所持」を理由として支払停止を求めることはできない。したがって、右郵便局員が支払停止手続をとることは不可能であったから、控訴人に支払停止手続をとるように勧めなかったとしても、何らの過失もない。

(三) 郵便貯金においては、本来名義人以外に預金者がいるというような他人名義の預金は認められていない。このことは、郵便貯金法二五条一項が「郵政省は、預金者の真偽を調査するため必要な証明を求めることができる」と規定していること及び郵便貯金においては民間の銀行預金と異なり、郵便貯金法一〇条により貯蓄総額が規制されていることから明らかである。名義人以外の預金者を認めていくと、貯蓄総額の規制が容易に潜脱されることになり、また、預金者の真偽を調査する必要もなくなってしまうからである。したがって、他人名義の預金が合法的に存在することを前提としたうえで支払停止手続を設けることが許されないのは当然である。

(四) 支払停止手続は、いったんその手続がとられると、真の権利者から払戻しの請求があっても応じないこととなり、支払停止手続の申出人と真の権利者が異なるときには、真の権利者は損害を被り、国は損害賠償責任を負う危険がある。したがって、仮に郵政省が定めた場合以外に、例外的に、郵便局員において支払停止手続を取るべきであるとされる場合があるとしても、それは、真の権利者に責任がなく、他方、当該郵便局員において申出人が真の権利者であると把握するのが容易であったような場合に限定されるべきである。例えば、控訴人から国(郵便局等)に対して、自己が預金の正当権利者であることを証明する判決や名義人からの証明書が提出されている場合、預金の払戻しを禁止する仮処分が発令されている場合等が右の例外的な場合にあたる。

しかし、本件においては、仮に控訴人が真の権利者であるとしても、名義人を太郎としたのは、利息に税金がかからないようにするためであり、脱税のために郵便貯金法が本来認めていない他人名義の預金をしたというのであるから、控訴人には重大な責任がある。

(五) 板橋向原郵便局の郵便局員が本件各貯金の真の預金者が名義人である太郎ではなく控訴人であると判断することは不可能であった。すなわち、控訴人は、平成六年五月二七日、同郵便局において、払戻請求をしたが、その際提示したものは、貯金通帳と届出印であり、それ以上に控訴人が預金者であることを裏付ける資料を提出したわけではなかった。そして、預金者が名義人である太郎である場合に、貯金通帳と届出印を名義人の祖父にあたる控訴人が所持していることも十分あり得ることであるから、それらの所持のみで控訴人を権利者であると判断するのが容易であったとはいえない。したがって、本件において、板橋向原郵便局の郵便局員が本件各貯金の支払停止手続を取らなかったことは正当であり、何らの落ち度もない。

(六) 以上によれば、仮に控訴人が本件各貯金の真の権利者であったとしても、小石川五郵便局の郵便局員の平成六年八月一九日の払渡しには何ら過失はない。

二  控訴人

1  控訴人は、本件各貯金の原資は控訴人が出捐したと主張したが、これに対し、被控訴人及び補助参加人らは、本件各貯金の原資は佐藤千鶴が出捐したと主張しただけであるのに、原判決は、太郎名義で行った本件各貯金の預入れは控訴人から太郎に対する贈与の趣旨であったという権利消滅事由(抗弁)を認定した。したがって、原判決には被控訴人及び補助参加人らが主張していない権利消滅事由(抗弁)を認定したという弁論主義違反がある。仮に被控訴人及び補助参加人らにおいて贈与の主張をしたとしても、抽象的な主張であり、いつ誰と誰との間にどのような意思表示があったのかという具体的事実の主張ではないから、原判決の認定は弁論主義に反する。

2  平成六年八月一九日の払渡しについて

(一) 被控訴人の主張2の(一)のうち、本件各貯金の一部の払戻しがされたこと及び郵便貯金取扱手続の内容については認めるが、その余は否認ないし争う。控訴人は、当該払戻請求を担当した郵便局員が郵便貯金取扱手続七条によったとしても、違法である。

郵便貯金取扱手続七条の1の(1)は、正当な権利者の確認についてアないしキの各号に当たらない場合には、質問をし、証明資料の提示、委任状の提出を求めることを不要としている。アないしキの各号に当たる場合は正当な権利者に当たらない疑いがあることになる。本件においては、春子が平成五年一〇月二五日に小石川郵便局に貯金証書亡失再交付請求及び改印・住所移転届を提出し、その直後の同年一一月一日に春子は同じ小石川郵便局で原判決別紙定額貯金目録(一)の貯金三〇万円と同目録(三)の貯金三〇万円のうちの一〇万円の払戻請求をしてその支払を受けている。これは、郵便貯金取扱手続七条の1の(1)のエ及びカに当たる。この場合、質問により、あるいは証明書類により正当な権利者であることを確認しなければならないとされている。

被控訴人は、健康保険証を示させ正当な権利者であることを確認したと主張するが、本件においては、郵便貯金通帳等再交付請求書(乙第二号証の一)の理由欄に「盗難」と明記されているのであるから、被控訴人としては春子に対し警察に出された盗難届の写しの提出を求め、詳しく事情を聴取すべきであった。

また、郵政省(国)といった法人格ある組織体については、当該担当者について過失の有無を判断するだけでなく、組織体全体についての過失の有無を判断すべきである。大規模な組織体においては、作業が担当毎に分担されていることが通常ではあるが、仮に担当者間の情報の流通が遮断された状態にあれば、各担当者は、知りうる事情が僅かとなる。情報が少ないため疑うべき特段の事情が認められることがなくなってしまうということになれば、それは一方当事者の内部事情によって過失が認められないことになる。相手方が関与できない事情によって、過失がないとされるのは不当である。

(二) 被控訴人の主張2の(二)のうち、控訴人が平成六年五月二七日に本件各貯金の一部の払戻請求をし、貯金通帳の再発行について調査依頼をしたこと及び通達において名義人以外の者が支払停止を求めることができないとされていることは認めるが、その余は否認ないし争う。

被控訴人は、名義人以外の者は支払停止手続はできないとする内規を作り、控訴人の請求を不可能にしながら、控訴人に不可能な支払停止手続を求めたうえで控訴人がその手段を取らなかったことを非難するものであり、不当である。

(三) 被控訴人の主張2の(三)のうち、郵便貯金法一〇条及び二五条一項の規定があること、同(四)のうち、郵政省が定めた場合以外に、例外的に、郵便局員において支払停止手続を取るべき場合があること及び同(五)のうち、控訴人が平成六年五月二七日に払戻請求をした際に提示したものが貯金通帳と届出印であったことは認め、その余は否認ないし争う。

郵便貯金取扱手続においても譲受人、相続人、承継会社などの文言が使われており、権利者と名義人が違う場合があることを予定している。郵便貯金法も、他人名義の貯金が合法的に存在することを予定しているものである。

控訴人が平成六年五月二七日に払戻請求をした際に提示したのは貯金通帳と届出印であり、それ以上に権利者であることを裏付ける資料を提出しなかったが、それは、被控訴人が控訴人に資料の提出を求めなかったからである。被控訴人において正当な権利者を確定するため十分な調査を行わなかったうえに、その責任を控訴人に押しつけることは不当である。

第三  証拠

原審及び当審における記録中の証拠目録の記載を引用する。

理由

一  当裁判所も、控訴人の本件請求は理由がないと判断するものであり、その理由は、次のとおり付加するほかは、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。

1  控訴人は、原判決が被控訴人及び補助参加人らが主張していない権利消滅事由(抗弁)、すなわち太郎名義の本件各貯金の預入れは控訴人から太郎に対する贈与の趣旨であったという事実を認定したのは弁論主義違反であると主張するが、原判決は、この点につき「仮に本件貯金が原告(控訴人)の出捐によるものであったとしても太郎に対する贈与の趣旨で本件貯金預入を行ったとみる余地もあるから、結局、原告(控訴人)の右主張は未だこれを認めるに足りる証拠がないというべきである。」と判示し、太郎に対する贈与を抗弁として認定したのではなく、本件各貯金の権利者が控訴人であること(請求原因事実の一部)を認めるに足りない理由の一つとして説示しているものである上、被控訴人は、原審において「本来資力のない未成年者名義の貯金であるからとはいえ、贈与により未成年者の金員となって貯金されることもあり、必ずしも貯金名義人が出捐者ではないといえない」と主張している(平成七年二月八日の原審第四回口頭弁論期日において陳述済みの被控訴人の同日付準備書面(二)の二の2)から、原判決が右のような認定をしたからといって弁論主義に違反するとはいえない。

2  平成六年八月一九日の払渡しについて

控訴人は、小石川五郵便局の郵便局員が平成六年八月一九日に本件各貯金の一部を払い渡したのは、控訴人が平成六年五月二七日に払戻請求をした後であり、控訴人の払戻請求以後については、正当の権利者を疑うべき特段の事情が生じたというべきであるから、払渡しを停止すべきであって、同郵便局員が平成六年八月一九日に春子の払戻請求(太郎の使者としての払戻請求)に応じて払い渡したことには過失があると主張する。

前認定の事実(原判決引用)及び当事者間に争いのない事実によれば、平成六年八月一九日の払渡しに至る経過は、以下のとおりである。

(一)  春子は、本件各貯金に係る通帳を所持していなかったことから、平成五年一〇月二五日、小石川郵便局に盗難を理由に郵便貯金証書の再交付申請をし、同郵便局員は、国民健康保険被保険者証等により名義人である太郎と出頭した春子との身分関係を確認したうえ郵便貯金法等の定める所要の手続を行い、その結果、同年一一月一日、貯金原簿所管庁である長野貯金事務センターから太郎宛に再発行された定額貯金証書が郵送された。

(二)  春子は、太郎の法定代理人(親権者)として、小石川郵便局において、平成五年一一月一日、原判決別紙定額貯金目録(一)の貯金全額と同目録(三)の貯金のうち一〇万円について、平成六年二月九日、同目録(二)の貯金全額について、再交付された定額貯金証書に基づき払戻請求をし、同郵便局員はそれぞれ払渡しをした。

(三)  控訴人は、平成六年五月二七日、板橋向原郵便局において、住所変更届及び郵便貯金払戻金受領証を提出し、本件各貯金の一部である原判決別紙定額貯金目録(一)の定額貯金三〇万円及び同目録(二)の定額貯金三〇万円の払戻請求をしたところ、右定額貯金の証書が再発行されていることが判明した。そこで、控訴人は、調査してほしい旨の申出をし、同郵便局員は、長野貯金事務センターに調査を依頼した。この際、控訴人は、同郵便局員に対し、再発行された貯金通帳に基づく支払の停止手続を求めず、右郵便局員も支払停止の手続をとらなかった。

(四)  春子は、太郎の法定代理人(親権者)として、小石川五郵便局において、平成六年八月一九日、原判決別紙定額貯金目録(三)の貯金の残額二〇万円について、再交付された定額貯金証書に基づき払戻請求をし、同郵便局員はその払渡しをした。

そこで、小石川五郵便局の郵便局員のした平成六年八月一九日の払渡しが郵便貯金法二六条による「正当の払渡」といえるか否かについて判断する。

同条は、郵便貯金の払渡しが同法又は同法に基づく省令の規定に従ってされたときは、これを正当の権利者に対する払渡しとみなし、債務の弁済として有効なものとする旨規定している。右の「正当の払渡」とみなし得るためには、郵便貯金の払渡しについて郵便局側に故意又は過失のないことを要するものと解するのが相当である。

(一) まず、被控訴人が本件各貯金に係る定額貯金証書を再発行した点についてみると、郵便貯金法一八条は、預金者が通帳又は貯金証書を亡失したときは、預金者の請求があれば、通帳又は貯金証書を再発行する旨規定し、同規則一〇条、三四条及び郵便貯金取扱手続三八四条は、右再発行の手続について規定している。郵便貯金については、後記のとおり、他人名義の預金契約は認められないから、郵便局員が貯金の正当の権利者を確認する際には、原則として名義人が正当の権利者であることを前提として、調査すれば足りる。小石川郵便局の郵便局員は、本件各貯金の名義人である太郎の親権者である春子から、平成五年一〇月二五日、盗難を理由として郵便貯金証書の再交付申請を受け、国民健康保険被保険者証等により名義人である太郎と出頭した春子との身分関係を確認したうえ郵便貯金法等の定める所要の手続を行い、その結果、同年一一月一日、貯金原簿所管庁である長野貯金事務センターから太郎宛に再発行された定額貯金証書が郵送されたものである。したがって、被控訴人が本件各貯金に係る定額貯金証書を再発行したことについては何ら違法の点はない。

(二)  次に、控訴人が板橋向原郵便局において本件各貯金の一部の払戻請求をした際、その貯金証書が再発行されていたことについて調査を依頼したことに対し、同郵便局員が再発行された貯金通帳に基づく支払の停止手続をとらなかった点について検討する。

郵便貯金の支払(払渡)の停止については、法、規則において規定されていない。しかし、支払停止の措置が実際に必要な場合があることから、支払停止通達(平成五年一月一一日局貯法第八五〇号貯金部長通達「相続に係る郵便貯金等の支払停止の取扱いについて「例規」・乙第一〇号証)が郵便貯金の支払停止手続について定めている。これによれば、郵便貯金の支払停止の依頼は、(1)名義人が意識不明等、自ら郵便貯金等の利用に関する意思表示を行えない状況下において、名義人以外の者が勝手に支払等の請求をするおそれがある場合、(2)離婚調停における分与財産を確定するための調停が終了するまでの間、郵便貯金等の支払を差し止める必要がある場合、(3)未成年者の家出等により、親権者又は後見人の権限で郵便貯金等の支払を差し止める場合、(4)名義人以外の者が通帳又は貯金証書等を不当に所持している場合に限って受け付けるものとされている。支払停止手続は、いったんその手続がとられると、真の権利者から払戻しの請求があっても応じないこととなり、支払停止手続の申出人と真の権利者が異なるときには、真の権利者は損害を被るおそれがある。したがって、郵便貯金の支払停止は、右のような合理的な理由がある場合に限って認めるのが相当である。そして、仮に郵政省が定めた場合以外に、例外的に、郵便局員において支払停止手続を取るべき場合があるとしても、それは、真の権利者に支払停止を必要とする事由の発生について責任がなく、かつ、当該郵便局員において申出人が真の権利者であることを把握するのが容易であるような場合に限定されるというべきである。

ところで、郵便貯金法二五条一項は「郵政省は、預金者の真偽を調査するため必要な証明を求めることができる」と規定していること及び郵便貯金においては民間の銀行預金と異なり、同法一〇条により貯蓄総額が規制されていることに鑑みると、郵便貯金については、名義人以外に預金者がいるというような他人名義の預金は認められないというべきである。したがって、仮に控訴人が本件各貯金の出捐者であり、真の預金者とされ、かつ、控訴人以外の者が貯金証書を所持していたとしても、支払停止通達上、本件各貯金の名義人でない控訴人が貯金証書の「他人所持」を理由として支払停止を求めることはできない。貯金証書の「他人所持」を理由として、貯金の名義人でない者からの支払停止の申出が認められないのは、同法が他人名義による貯金を認めていないことに対応するものであって、貯金の名義人でない者が、支払停止手続を請求できないことによって不利益が生じたとしても、敢えて他人名義を使用し自己名義にしなかった者の責任によるものというべきである。控訴人は、平成六年五月二七日、板橋向原郵便局において、本件各貯金の一部の払戻請求をし、右定額貯金の証書が再発行されていることが判明した際、同郵便局員に対し、その調査を依頼しただけで再発行された貯金証書に基づく支払の停止手続を求めなかった。また、控訴人が本件各貯金の名義人を太郎としたのは、利息に税金がかからないようにするためであるというのであり(甲第六号証)、郵便貯金法の規制を潜脱し同法が本来認めていない他人名義の貯金を敢えてしたというのであるから、控訴人には重大な責任があるというべきである。

そして、控訴人が板橋向原郵便局において本件各貯金の一部の払戻請求をした際、本件各貯金の預金者について、郵便貯金取扱手続七条の1の(1)が払戻請求等の態様において正当の権利者であることを疑うべき事情がある場合として規定しているアからカに定められている事由及び「その他アからカまでに準ずる疑わしいと認めるに足りる事由」(キの事由)に該当するような事情は認められなかった。右の事情には当該払戻請求を担当した郵便局員が知り得ないような事情は含まれない。板橋向原郵便局の郵便局員が本件各貯金の真の預金者が名義人である太郎ではなく控訴人であると判断することは不可能であった。すなわち、控訴人は、平成六年五月二七日、同郵便局において、払戻請求をしたが、その際提示したものは、貯金通帳と届出印であり、それ以上に控訴人が預金者であることを裏付ける資料を提出したわけではなかった。そして、預金者が名義人である太郎である場合に、貯金通帳と届出印を名義人の祖父にあたる控訴人が太郎の使者として所持していることも十分あり得ることであるから、それらの所持のみで控訴人を権利者であると判断するのが容易であったとはいえない。したがって、控訴人が平成六年五月二七日に板橋向原郵便局において本件各貯金の一部について払戻請求をしたことをもって、名義人で太郎が預金者であることあるいは春子のそれ以降の払戻請求(太郎の使者としての払戻請求)について正当の権利者であることを疑うべき特段の事情があったとすることはできない。

したがって、本件において、板橋向原郵便局の郵便局員が本件各貯金の一部の支払いの支払停止手続を取らなかったことは正当であり、何ら過失はない。

(三) そこで、小石川五郵便局の郵便局員が春子の平成六年八月一九日の原判決別紙定額貯金目録(三)の貯金のうち残額全部(金二〇万円)の払戻請求に応じて払渡しをしたことが郵便貯金法二六条の「正当の払渡」に当たるか否かについてみると、同郵便局員は、太郎の親権者である春子から提出された貯金証書に押捺された印影と払戻金受領の受領印の印影が同一であり、払戻請求をしている春子が、普段から同郵便局を利用しており、当該貯金の名義人である太郎の母親であることを知っていたことから、右払戻しに応じたものである。したがって、右払渡しは、郵便貯金規則八六条一項、郵便貯金取扱手続七条及びその注意点(乙第七号証)を遵守してされたというべきである。

したがって、仮に控訴人が本件各貯金の真の権利者であったとしても、小石川五郵便局における平成六年八月一九日の払渡しは、郵便貯金法又は同法に基づく省令に規定する手続を経てされ、かつ、右払渡しを担当した同郵便局員には何ら過失はないから、同法二六条の「正当の払渡」と認められ、有効な払渡しがされたものとみなされる。

二  結論

したがって、控訴人の本件請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。

よって、本件控訴を棄却し、控訴費用及び当審における参加費用の負担について民訴法九五条、八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官渡邊昭 裁判官河野信夫 裁判官小野剛)

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